2月に岡谷の教会へ行った際に、稲荷山の教会が存続していることを知り、母を連れて行きたいなと思った。
母は長野の稲荷山というところが出身であるが、もうしばらく行っておらず、今は家族親戚誰もその土地には住んでいないけれど、一度行ってみたいと話していたし。
94歳、足腰口は達者だが、一人では厳しいよね。
諏訪湖では、毎日10分だけ花火が打ち上げられるそうで、それと併せて連れて行きたいな、と。その話をしたら、息子家族も付いてくることになった。3歳から94歳まで4代旅行。
途中、清里にちょっとだけ寄り、避暑。本当に10度以上涼しくて、夏は移住を本気で考えたいと思う。
清里に住むいとこにもちょっと会って、諏訪へ。
花火は10分だったけど、毎日やっているので人混みもなく、充分見応えがあった。
道中、母の子供時代の話から、上京してきて大学に通う中で、キリスト教の信者になり(稲荷山の教会で受洗したのかと思っていたら、そうではなかった!)、父と出会うまでを、「あれ」とか「それ」とか沢山の出てこない固有名詞を交えて初めて聞いた。欠けたピースを補いながら聞くのは、脳トレ!(私も、言葉が出てこないことが多いので人のことは言えないのだが)
稲荷山は、私が小学校時代にその当時住んでいた祖母のところに毎年夏休みに2週間くらい過ごした懐かしいところでもあるが、街並みを見てもあまり思い出せない。
稲荷山の教会は、定住の牧師さんがいない上に、エアコンもないと言うことで、礼拝の開始時刻が変動的。電話をして確認の上、出かけた。

手前は、母の姉が保母をしていた幼稚園(今はこども園)。奥が聖堂。幼稚園は今年100年を迎えるそうだ。この聖堂も92年目、当時としては画期的な鉄筋コンクリートでであるそう。母は聖堂はもっと小さくぼろかったと言うが、当時もこの建物だったはず。
礼拝後は、唯一残っている小学校の同級生に会うとかでバタバタしてしまい、聖堂の中を撮影できなくて残念。板張りで、椅子があり、当時としてはかなりモダンだったのではないかと思う。国の有形文化財になっている。
建物の横側はこんな感じでかわいらしい。

教会で、住んでいた場所の今の情報を仕入れ、息子がネットで調べてくれて、奇跡的に家の場所にはたどり着けた。(住所表記も変わっているので、どこだか分からなかった)
道路の拡張で塀の半分は取り壊されたけれど、「たまち蔵道」の一部として塀と門だけは残されていてよかった。(タイトルの写真)この裏は、宅地分譲中。
昔からあったお蕎麦屋さんでお昼も食べて、喜んでもらえてよかった。
しか~し、この夏後半、海外旅行に2人で行くことになっており(ツアーだけど)、これは完全にマネージャーに徹するしかないことを痛感。友人に、振り回されるうちが花と言われ、とにかく無事にお連れすることに専念しよう。