1日長崎滞在が増えたので、最近(比較的)観た「沈黙」の舞台を追ってみることに。
何故に、異国それも全然自分とは違う風貌の人間が伝える宗教を信じるようになったのか。
禁教で迫害されながらも、隠れて信仰し続けるそのモチベーションはなんだったのか。
死後天国へ行き、永遠の命を得られるとしても、踏み絵を踏む行為と信仰は別のものという考えはなかったのか。
多くの疑問が残る映画だったから。
レンタカーで平戸へ。
田平天主堂 |
平戸ザビエル記念教会 |
春日集落 |
分かったのは、すごく平野部の少ない海から山がそそり立つ島々で、農作業をするとしても耕地がほとんどなく生活困難であっただろうということ。
そして、隠れるところは沢山あった。
でも、初めの疑問は解けず。
遠藤周作文学館も見学。
彼はボーンクリスチャンで、空気のようにキリスト教があった故にどう向き合うか悩んだとのこと。ちょっと共感できるかも。ちゃんと読んでみようかな。
長崎市内に戻り、
浦上天主堂(この日は天気がよかった) |
大浦天主堂 |
カトリックの教会って絵になるなぁ。尖塔と十字架とマリア像。
プロテスタント(聖公会)の教会はこんな感じ。
私には、こちらの方が馴染むけれども。
その時代のキリスト教を信じた民衆の大変さを目の当たりにすることはできたけれども、その困難の中にあっても貫き通せる信仰心は結局理解できず、消化不良に終わったのだった。